エトランジエ

一杯の珈琲と一本の煙草とカナビスと

追・26年の人生を振り返って

私にとって「反抗」がどのような意味を持つのか考えてみた。

 

まず前提として、私は既存のルールに乗って生きていくことにアレルギー反応のようなものを持つ。

 

なぜか。

 

ふと思ったのだ、

 

ルールに乗って生きていくことに「自分の生き方を深く考えず機械的に漠然とした人生を歩んでいく」印象を持っていて、それは人間としての尊厳を自覚して生きることに対しての責任の放棄のように感じたのだ。

 

もちろんそれに当てはまらない人間はいるだろうし、私がこの考えに至ったのは比較的恵まれた人生を歩んでいたからだと思う。

 

それでもやはり私は世間のルールに反して生きていくことで、自分の人生に責任を持って生きる実感が欲しかったのだ。

 

何も叶えたい夢があるわけではない。

 

生き方を自分で決めたいという欲求が、私をそうさせているのだ。