絶対的且相対的自己
ある友人と電話をして、今自分はとある分岐点に来ていることを自覚した。
「何者」かになるのか、ならないのか。
どちらを選んでもきっと後悔するし、正解である。
私は前回の記事で反抗するのが私の生き方だと書いたが、それは逆を返せば反抗する対象に依存しているということで、その理論の幼稚さや生産性の無さには数年前から薄々気付いていた。
反抗する対象が無い場合、自分は一体「何者」なのか。
そもそも「何者」かになりたいのか。
時間をかけて熱心に取り組めばいずれ絶対的自己を確立し「何者」かになれるのではと思ったりもするが、それは取り組む資格があればの話である。
とにかく今は時の流れに身を任せ、必要な時だけ舵を大雑把に切れば良いのかもしれない。