エトランジエ

一杯の珈琲と一本の煙草とカナビスと

ねじれ曲がった感覚

日常に退屈したというか、たぶんおそらく一般的に定義される「日常」とただ相性が悪かっただけ。

環境を変え、最初の数ヶ月は適応するのにエネルギーを使った。

するとどうしたものか、しばらくして再び「日常」に囲まれた。

これを維持するのにエネルギーを使うことが世の中では当たり前とされている。

精神衛生上都合が良いのだろう。

予想外の出来事にいちいち振り回されて無駄なエネルギーを使うことが少なくなる。

 

私は「日常」を追求できない。

これはさしずめ夢見がちな人間ということか?

非日常が自分を充実させてくれると盲信しているからこんなこと考えるのか?

 

知らない。

私はこういう人間として生まれてきてしまった。

周囲のキラキラとした幸せをその通りに感じることができない、感覚がねじれ曲がった人間だ。

 

自分の声に、直感に、そっと耳をそばだてる。